ゲームを横で見てるだけでも楽しかった。1人用のRPGを無意味に3人で囲み、あーでもない、こーでもないと冒険する。1人が遊んでて2人は見てるだけ。そんな中に僕は居た。
何故か見てるだけでも満たされた。何かを成し遂げたいとか、自分も楽しんで充実感を得たいとか。特にそんな事を考えなくても、横で一緒にゲームを見てるだけでも楽しかった。
ちゃんと調べれば何となく理由は分かる気がしたので、理屈っぽく考えてみることに。
- 自分には出来ないプレイを見たい
- 同じ時間を共有したい
- 単純にゲームが好き
うーん…どれもしっくり来ない
なんで見てるだけなのに落ち着いたり、多幸感を感じる時があるのだろうか?
何とも不思議に感じてならない時がある。
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誰か1人でも”楽しい”を感じてるかが重要
僕は自分でゲームを遊ぶのも、人が遊んでる所を見るのも好きなので、共通点を探してみることにしました。
どちらも共通点してるのは”楽しい”という喜びの感情です。自分なのか他人なのか分かりませんが、めちゃくちゃ楽しそうにゲームを遊んでる人が居るんです。だからこそゲームを通じて多幸感を感じる。まぁそりゃそうですよね(笑)
この前、友達の新居に遊びに行った時に、赤ちゃんが笑っただけでその場に居た全員が笑顔になったんです。自分の親しい人が幸せそうな顔をすると、こちらまで幸せになれます。
自分がゲームに対して楽しさを感じなくても、誰か1人でもめちゃくちゃ楽しそうにしてれば良いんです。それを見てるだけでも楽しいし、それが一番幸せなのかも知れません。
ゲームは人の”素”を引き出す
“親しい誰かが幸せそうな顔をする”につられて、自分も同じ気持ちになれる。ゲームという媒体を介して居ますが、理屈的にはそんなイメージ。
だからゲームを見てるだけでも満たされる、と考えてます。ゲームって本当に無邪気でバカみたいになれる遊びですし、その人の”素”みたいな部分が見える時があるんです。
一緒にお酒を呑むとその人の”本性”が見えると言いますが、ゲームに熱中してる時も同じことが言えます。本気で何かを楽しんでる時って我を忘れてますし、見てて面白いなって思うんです。
- 間抜けな姿
- 腹黒い姿
- 一生懸命な姿
- 涙脆い姿
普通に話してるだけじゃ見えてこない部分を沢山感じられる。ゲームを見てるだけって行為には、ゲームの面白さプラスαの魅力が詰まってると思いませんか?
ゲーム観戦とスポーツ観戦は何も変わらない
少し見方を変えまして。”遊んだ方が楽しい”という意見について触れてみます。ゲームは実際に遊んでこそ満足感を得られるものであり、見てるだけじゃ意味ないじゃんって意見です。
自分が遊ぶ方が楽しいと感じるのは、ごもっともな意見だと思いますし、僕もどちらかと言うと遊びたくてウズウズしてくるタイプです(笑)でも、それが100%正しいとは一ミリも思いません。見るのとやるのでは大違いですもん。”やる事”を推奨する人達は、それが”出来る”人達です。つまり”楽しく遊べる人”とも言えます。
下手くそだから上手くなる過程が楽しい、と言いますが全員が上手くなる事を望んでません。僕たちはプロじゃない。無理して超絶ゲーマーになる必要はどこにも無い。
好きなゲームを観ることで満たされるなら、それに越した事はないと思います。プロ野球で考えても同じこと。熱狂的なファンとして応援したり観ることに情熱を持ってる人だって居ますよね。
プロ野球選手がいきなり「そこのあなた!見てるだけじゃ楽しくないから一緒に野球をやろう!」と言っても非難されるだけです。やりたいと強く思った時にやれば良いのです。あなたもそう思いませんか?
横で見るはオフラインからオンラインへ変化する
今でも思いますが、誰かの横に座って一緒になってゲームを観るのが僕は一番好きです。次々と変わるゲーム画面と友達の叫び声が混ざり合い、チラッと横を見ると鬼の形相で、チカラ一杯コントローラー握る友人。全てが融合して1つのゲームとしての形をしてるように見えるのが、オフラインの良いところ。
永遠と駄弁りながら友達の家でゲームを遊んでた時期が懐かしい。無駄に大人になってしまった自分には、そんな事をしてる余裕も資格もありません。はぁ…まさにピーターパン症候群(笑)
時代の変化により、ゲームの世界もオフラインからオンラインに切り替わってきました。SNSによって、何処でも誰とでも繋がれる社会が築かれた現代社会。1つの画面を共有する行為はいとも簡単に行われるようになりました。
楽しくもあり、どこか寂しくもある。肩で感じた体温も、緊張のあまり硬直した指先も、オフラインしか味わえない魅力。こんなことを言うと懐古厨とか罵られそうですが、実際に友達の家でゲームを見るってそう言うことだと思う。
おっさんになってしまった自分でも、誰かと同じ時間を共有出来るのがオンライン。何処にいても、誰といても。どちらが良いか分かりませんが、不意に他人が遊んでる姿を眺めたい時があるんですよね。おセンチメンタルです(笑)
ゲームは見てても遊んでても楽しい
結論から言えばゲームというモノは実際に遊んでも、傍目で見てても楽しいって話です。自分じゃなくても誰かを楽しませてくれる存在であり、その姿を見てるだけで楽しいと思わせてくれる。
その人の”素”の部分を引き出し、無邪気な姿を剥き出しにさせる中毒性。一緒にお酒を呑んでるような、その人の隠れた一面を見ることが出来る。それって凄いことだと思いませんか?
一緒にケラケラ笑いながらゲームを見てても良いし、超絶プレイに心を奪われるのも良い。はたまた自分と違う価値観の人を見つけ、深い考察を行うのもアリです。楽しみ方は幾らでも見つかります。
仮にあなたが”見てるだけ”という行為に申し訳なさを感じているのなら、そんな事で気に病む必要はありません。
見てるだけで楽しめるのがゲームなんですもん(笑)
どういう形であれ、ゲームを楽しむ同じ人間なんです。楽しければ良かろうもんです。胸を張って堂々と”見ること”を楽しんで下さい。